どこまでもあいまいな「アラブ諸国」の謎とは?

イランとイラクは、隣り合った国である。国名もよく似ている。ところが、イランはペルシア人の国だが、イラクはアラブ人の国。民族的には、まったくちがう。日本人のイメージでは、イランもイラクも「アラブ諸国」に含まれそうだが、じっさいには、イラクは含まれても、イランは含まれない。

では、その「アラブ諸国」は、どこからどこまでの国を指すかといえば、じつはその定義ははっきりしないのだ。たとえば、シリアのアラブ人は、肌の色が白いのに、エジプト南部やスーダンなどのアラブ人は肌が黒い。外見で、アラブ人を区別することはできない。また、1945年には、「アラブ連盟」という組織が創設された。アラブ国家の相互協力を目的としており、現在、サウジアラビア、クェート、カタール、アラブ首長国連邦、イラク、ヨルダン、エジプト、スーダンなどに、パレスチナ解放機構(PLO)も参加している。

その加盟国の人々を「アラブ人」と呼ぶこともできるが、ここでもあいまいさが残る。というのも、本来、アラビア語はコーランの言葉であり、イスラム教と切り離せない。つまり、アラビア人は、アラビア語を母国語にして、イスラム教徒である人々のことをいう。しかし、時代の変化とともに、アラビア語とイスラム教が切り離されて、アラビア語は話すがイスラム教徒ではなかったり、イスラム教徒だがアラビア語を生活語として使わない人たちもあらわれている。結局「アラブ」とは、民族的な概念ではなく、歴史や地理、政治、文化などの条件を考え合わせて、総合的に決められる概念といえそうだ。

「中東」って、どこからどこまでのこと?

国際ニュースでは、「中東和平交渉」や「中東戦争」という言葉がよく登場する。そのため、「中東」と聞くと、イスラエルやヨルダンといった国を思い浮かべる人は多いだろう。そこで、その二ヵ国以外で、中東に含まれる国は?と聞かれて、明確に答えられるだろうか。じつは、国際社会でも、どこからどこまでが中東なのか、はっきりしていないのが実情だ。

そもそも、「中東(ミドル・イースト)」という言葉が初めて使われたのは、1902年、アメリカの海事戦略家アルフレッドーマハンが、ロンドン発行の雑誌「ナショナル・レピュー」に掲載した論文だったといわれている。この論文の中で、マハンは、ロシアとイギリスの戦略的覇権を検証し、両国間の争いの舞台となったスエズからインドまでの広大な一帯を「中東」と呼んだ。その理由については、それまでヨーロッパ人が呼んできたアジア東部の「極東(ファー・イースト)」と「近東(ニア・アジア)」の中間に位置するため、「中東(ミドルイースト)」としたとされている。

しかし、マハンが、明確な線引きをしなかったため、その後、「中東」という言葉は、あいまいなまま使われることとなってしまった。日本の外務省では、中東と近東を合わせて「中近東」と呼んでいる。そのエリアは、東はアフガニスタンから西はモロッコ、北はトルコから南はスーダンまでの22ヵ国である。しかし、これも、ヨーロッパでいわれる「近東」「中東」の範囲が明確でないとして、戦後、日本が独自に作った地理的な概念。この中近東という言葉は、日本だけでしか使われていない。

— posted by 斗間下 at 01:04 am