アフリカの民族紛争を産んだ罪つくりな国境とは?

アフリカには、1つの国で、いくつもの言葉が話されていることがある。そのため、サッカーなどの代表チームでも、同じ国民でありながら、選手同士で言葉が通じないことがあるという。これは、一国にいくつもの民族が共存するため。そうなった理由は、アフリカの国境に直線が多いこととも関係している。

アフリカの大地は、19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパの国々によって分割された。フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどが植民地支配に乗り出し、アフリカを勝手に分割したのだ。その境界線を決めるとき、一部については、古くからの王国や民族の勢力範囲が考慮された。そのケースでは、河川や山脈などが国境となっている。ところが、そうした線引きが面倒な部分は、列強が地図上に勝手に定規で線を引くことで妥協した。

そのために、直線的な国境が多くなったのである。とくに、サハラ砂漠やカラハリ砂漠周辺は、ろくに調査もされないまま、勝手に分割されたので、一直線の国境線となっている。むろん、列強の国々は、国境線を決めるとき、そこに住んでいる民族のことなどまるで無視した。その結果、同じ民族が2つの国に分かれたり、異民族なのに同じ国にまとめられたところが少なくないのである。現在まで続くアフリカでの民族紛争は、その多くがこの国境線の決め方が根本的な原因となっている。

アメリカの州境は、なぜあんなにまっすぐ?

マラソンの高橋尚子選手は、ふだんアメリカのコロラド州ホールダーでトレーニングをしている。ロッキー山脈のふもとで、海抜約2,000メートル。アップダウンの激しい高地を走ることで、心肺機能を高めているわけだ。そのコロラド州付近のアメリカ地図を見ていると、アメリカの中部、西部では、州の境界線が一直線になっていることに気づく。

日本人の感覚でいうと、ロッキー山脈や河川などを州境にすればよさそうなものだが、まるで定規で線を引いたように州が区切られているのだ。その理由は、西部開拓時代の土地政策にあるという。独立間もない頃のアメリカは、イギリスとの戦争に多額の戦費を費やし、大きな負債を抱えていた。その借金返済の手段として、当時の連邦政府が注目したのが、西部の広大な土地だった。

政府は、1785年、公有地法令を定めて、まず西部のすべての土地を6マイル(約10キロ)四方に区切った。さらに、それを1マイル四方の36区画に分割。そのうち5区画を公立学校や連邦政府用地として除き、残りの31区画を640ドルで売却したのである。2年後の1787年には、北西部令を制定して、連邦政府から知事らを派遣。住民の成人男子が5,000人になれば、準州として自治を認め、6万人になれば州に昇格できることにした。この2つの法律に基づいて土地を扱い、つぎつぎと州に昇格させたので、州境は一直線になったというわけである。

— posted by 斗間下 at 01:23 am